お知らせ

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2018.01.09

コンソーシアムを始めるにあたってアドバイザリボードの藻谷浩介さんよりメッセージをいただきました。

コンソーシアムを始めるにあたってアドバイザリボードの藻谷浩介さんよりメッセージをいただきました。

「里山的な暮らしに経済格差縮小のヒントがある」

“Satoyama”とは、日本発の生態学用語である。もともとは、日本各地の農村集落のすぐ近くにある山や丘や林を指す一般名詞だ。だが今では、「農村集落の周囲にある山や林や田畑や川であって、その集落の住人による多年の利用活動自体が、生態系の中に組み込まれて安定している場所」という意味を持つようになっている。人間の活動は多くの場合、自然な生態系の維持再生に害となるものだ。しかし里山では、人間の多年の活動の結果、生態系の中の生物多様性がかえって増している。逆に言えば、人間の活動が消えていくと、生物種が減ってしまう。つまり里山では、人間が自然の循環再生のエンジンの一つとなっているのである。
筆者は、2013年以来「里山資本主義」を提唱している。これは何でもお金で売り買いし、事物の成否を金額の多寡で評価しがちな「マネー資本主義」の欠陥を補う役目を持つ、近代経済の中のサブシステムだ。より端的には、金銭による等価交換だけでなく自給や物々交換、贈与といった非金銭的な行為の価値をも重視し、競争よりも協働、自己責任よりもリスクの社会的分担、現役時代の蓄財よりも老後の安定を重んずる。マネー資本主義は、富裕層が蓄財に走り格差を拡大させる結果として、需要の停滞によるバブル崩壊を繰り返しながら、不稼働資産の山を築き、次世代に遺すべき天然資源を浪費していく。これに対し里山資本主義は、人間が自然の循環再生プロセスに参加している日本の里山のように、それを追求することが資源や金銭の循環を担保し、次世代の再生を促進する。里山資本主義を実践することで、いくらお金があっても担保出来ない「安心」や「信頼」が手に入る。
里山資本主義は、新たな原理の提唱ではなく、日本の過疎農山漁村で高齢者が送っている生活スタイルの再評価だ。日本の田舎には、欧米はもちろん近隣の中国や韓国に比べても、恵まれた降水、肥沃な土壌、豊かな植生があり、今でも木を燃やして煮炊きをし、庭先で野菜を育てる暮らしが残っている。世界市場を席巻するアメリカやオーストラリアの大規模農業が土壌や地下水を急速に消耗させているのに対し、自然の循環を壊さずして水と食料と燃料を一定程度タダで手に入れてしまっている日本の里山の営みは、持続可能性が高い。同じ日本でも都市部の高齢者は退職後に収入の途を失い、将来の年金の減額に怯えているが、里山資本からある程度の生活の糧を得ている農山漁村の高齢者に生活の不安は少ない。だが都市部であっても、現役世代の減少に伴って増えつつある遊休地の市民農園化、太陽光や木質バイオマス燃料の利用促進、物々交換をベースにした相互扶助の再建などで、田舎に倣って安心安全の再構築が可能ではないかと、筆者は提唱している。
これに対して、「里山で調達できる燃料や食糧なんて日本全体では微々たるものだ」という批判がある。だが筆者は、「何でも自給自足しよう」と唱えているのではない。「日本人全員が100%お金だけに頼って暮らす必要はさらさらない、1%でもいいので金銭に依存しない部分を取り戻してはどうか」と提案している。100の反対は0とは限らない。99でも100とは違うのだ。商品を売る事業者であっても、原価の部分に少しでも自給自足や物々交換を取り込むことで、商売にほんの少しゆとりが出てくる。そもそも里山資本主義の普及は、マネー資本主義の機能不全に備える保険金のようなものなのだ。微々たる掛け金でも、大震災のような非常時には大きな助けになる。さらにいえば、そもそも里山で暮らしている人の数自体が微々たるものなので、都会から過疎地に移住すれば自分だけは大きな自給率を達成することも可能である。
「とにかく経済成長をしてお金を稼がなくては生きる道はない」と、里山に保険もかけず、すべてを投げ打って「国際経済競争」に突き進んでいくのでは、スポ根少年漫画と同じだ。何をするにも退路と選択肢はたくさんあった方がいい。実際に今の日本では、都会の20~30代の若者の間に、もっと人間らしい暮らしを営もうと田舎に移り住む動きが、少しずつ広がっている。子育てがしにくく出生率が低い都会から農山漁村に移住した若者は、里山資本の活用で生活コストが下がることもあり、より多くの次世代を産む傾向がある。水面下で密かに広がり続ける里山資本主義は、日本の人口減少を食い止め、持続可能性を高める、希望の旗印なのである。

株式会社 日本総合研究所
主席研究員
藻谷 浩介

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